長崎蒸男のサウナ道

サウナ後進国長崎での、サウナーの日記です。

ヒートテックは肌着って、本当ですか!?

木枯らしが吹き、景色はすっかり冬めいてきましたね。

外気浴の風が「心地よい」から「痛い」にかわることで、サウナーは季節の移ろいを感じます。

 

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

この時期になると一軍登録され酷使されるものと言えば……

 

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【盲腸手術日記】手術4日目(退院日)【入院5日目】

金木犀の香りが町に漂い、いよいよ町に秋がやってきた。長崎の3連休はおくんちも重なり、大変にぎやかだったそうだ。

え? 私の3連休?  

盲腸で入院です。 

 以下、手術4日目(退院日)のダイジェストです。

 

 

午前6時:採血

病院の朝は早い。朝も明けきらぬうちから採血である。この採血の結果いかんで退院か否かが決まるので勝負の分かれ目である。

午前8時:トイレでの最後の決戦 

手術後、尿道カテーテルを抜いた段階で、盲腸での入院のクライマックスは過ぎたといってよい。ただ、退院を控え、それでもひとつだけ試練が残っているのである。

便とガス(うんことおなら)を出すことである。

全身麻酔で腸の機能が低下しているうえ、腹筋を切っているためおなかに力を入れられない。そのため、便はおろかガスさえ出せないのだ。相部屋の爺さんは簡単に出すというのに。それでも食事は3食しっかりとれるため、お腹が張って更に痛いという悪循環に陥る。これが結構苦しい。手術最初の夜に比べれば屁でもないけど。(ガスだけに)

手術3日目、回診の際にお医者さんが言っていた。

「ガスと便の出具合によっては、退院を待ってもらうかもしれません」

入院して5日。流石にもう退院したい。というわけで、朝食後、トイレに籠る。なんとかガスを出すことはできたが、便がどうしても出ない。

果たして退院できるのか?

午前10時:回診

血液検査の結果はすこぶる良好。手術の傷のふさがりも問題なし。退院を妨げるものは、ガスと便のみである。

お医者さんの「座薬、使います?」の問いかけに「はい」と即答。

看護師さんが嫌そうに、本当に嫌そうに座薬を挿入。

挿入後20分で、力まなくてもすごい出ました。座薬って本当にすごい。

これをもって、めでたく退院。

12時:退院

妻が迎えに来てくれて、病院を後にする。祝日だったため、病院の会計担当がおらず、「入院費の精算は後日電話で案内する」とのこと。

やっぱり自宅はいい。

居心地が良すぎて、帰って早々、昼寝をしてしまいました。

 

以上が、手術4日目(退院日)のダイジェストとなります。

 

あとは、一週間後に経過を見てもらうため通院し、9月頭から始まった盲腸騒動もおしまいとなりそうです。最終的な感想と、かかった費用の総額、そして保険金がいくら降りるのか、確定したらお伝えしようかと思います。

 

 

【盲腸手術日記】手術から3日目【入院4日目】

3日目:相部屋の人々――人種のるつぼ

手術から3日目になると痛みもマシになってくる。腰の痛みはすっかり治まり、残るは腹の傷の痛みだけとなった。ただし、腹腔鏡手術とはいえ一応切腹しているわけだから、治まったとはいえ、痛みは結構なものである。

具体的に言えば、中学高校の部活で鬼のように腹筋運動をやらせれた翌日の筋肉痛に、包丁で盛大に指を切ったときの痛みをお腹に移動させて、それをミックスした感じである。

歩く速度は遅く、狙ってもいないのにロボットダンスのような動きになる。地味に辛いのがくしゃみである。「はっくしょん」の「は」あたりで、その際の痛みを想像し気絶したくなる。

こんな感じなので、皆さん、盲腸の手術をされた方に会ったら大いにいたわってあげてほしい。

とはいえ、手術も終わり、尿道カテーテルも抜いたので、ガスと便を出すこと以外、大きなイベントは残ってない。3食食って寝るだけだ。ある意味人生の楽園である。

この辺になると周りを見渡す余裕が出てきて、相部屋の方々のことが気になってくる。

定員4名の相部屋には蒸男のほかに2人いた。

ひとりは2か月以上入院している主のような爺さんである。基本的に静かにテレビを見ているだけなのだが、看護師さんへの態度が横柄で、不意にでかい屁をこく。この屁の音色が実にバラエティ豊かなのである。きっと、暇な入院生活で編み出した技術なのだろう。それを惜しげもなく披露してくるので、蒸男の腹筋は文字通り崩壊した。笑うと本当に痛いのだ。盲腸患者の相部屋の住人としては最悪の人物である。

もうひとりは中年の男性で、蒸男と同じ盲腸の方。蒸男より1日早く手術をしたようであった。ただ、蒸男と違い「散らしてから間をおいて手術」ではなく、どうやら緊急に開腹手術をしたらしい。蒸男よりも予後がだいぶ悪いようで、深夜も痛みと熱でうなされており、蒸男が退院する日も絶食状態で、退院は遠そうだった。彼を見ていると「腹腔鏡手術は本当に体の負担が少ないのだな」としみじみ思った。

ただ、それにしたって痛いもんは痛い。

みんな、それはわかってほしい。

それはさておき、爺さんが休みなく屁をこくため、このままでは腹の傷が開いてしまう。院内の休憩室へ避難するため、ロボット歩きで移動する。

 その本棚にはこれまで退院された方が置いていった漫画や雑誌、小説がそれなりの数置いてあった。彼らの意志は継がねばなるまいと、次の2冊を読むことにする。 

ラーメン発見伝(2) (ビッグコミックス)

ラーメン発見伝(2) (ビッグコミックス)

 

両方とも、今回の手術がなければ一生出会わないような作品である。

運命とは数奇なもので、しっかりはまってしまい、今後マンガ喫茶あるいは購入して読むことを決めた。

【盲腸手術日記】手術から2日【入院3日目】

手術から一夜明けた2日目。

午前6時からの記録です。
  • 6時:地獄の真っ最中
  • 9時:洗体サービス
  • 9時30分:尿道カテーテルを抜く
  • 13時:尿道からおならが出る

 

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【盲腸手術日記】手術当日その2【入院2日目】


手術当日、午前10時以降の出来事を、リアルタイムで綴った文章を含めながら、ダイジェストでお伝えする。
  • 12時:全身麻酔と歯磨きについて
  • 13時:家族到着
  • 15時:手術用のストッキングを履く
  • 15時45分:全身麻酔
  • 19時頃:手術終了
  • 深夜3時:地獄の窯のふたが開く
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【盲腸手術日記】手術当日その1【入院2日目】

午前7時起床。

外は腹が立つ(盲腸だけに)ほどに晴れている。
8時、相部屋の方々のもとへ朝食が運ばれてくるが、蒸男は手術当日のため絶食。水を飲むことさえ許されていない。よってふて寝することにした。
10分後、看護師さんが体温と血圧を測りにくる。手術前はふて寝も許されない。
それでも諦めずにふて寝をしていると、8時半頃にはお医者さん、その後も掃除のおばちゃん、看護師さんと、色々来ては邪魔をする。
中でもお茶汲みのおばちゃんには参った。
 「蒸男さんは飲めませんよ!」
と大声で呼びかけてくるのだ。わかっている。せめてふて寝だけでもさせてくれ。
 
そんなことを思っていると、謎の腹痛。結構痛い。まさか、ここに来て盲腸の再発か。(蒸男はひと月前に盲腸を薬で散らしています。今回の入院は、散らして炎症が治まった盲腸を切ろうという企画です。ここでの再発は「また炎症を起こしたのか」 という意味。炎症をおこすと、治まるまで手術ができない。また一週間、何も食べられない日々の再来である)
そんな不安で一気に目が覚め、トイレに駆け込む。少ししか便がでない。痛みは少し治る。とりあえずベッドに戻る。これを3回繰り返し、4回目で大きな便が出て痛みが治まる。昨日寝る前に飲まされた下剤が今効いてきたのか。 薬ってすごい。
 
以上、手術当日、午前10時までのダイジェストである。
 

【盲腸手術日記】手術前日【入院1日目】

義理の祖母、それと大伯父に、敬老の日のプレゼントとして頼んだ本が届いた。面白そうだったので自分でも読んでみる。
「あの辺は昔こうだったのか」という驚きと楽しさが詰まっているが、それよりも、この時代を過ごしていないのに、なぜか懐かしさに泣けてくることの方が印象的であった。 それにしても、写真集とは写真だけではなく文字の量も多くて読み応えがある。
 
さて、明日は盲腸の手術なのでそれに備えて入院している。10時に入院受付をして、妻とともに手術の説明を受ける。その後、妻を帰らせ、看護師さんにおへその掃除をされる。 腹腔鏡手術はおへその奥を切るため、そこから雑菌が入りこむことがあるそうだ。そのため、おへその掃除は入念にするらしい。
「ここまでおへそが綺麗な人は中々いない!」
 と看護師さんに褒められたが、後日、別の盲腸の患者にも同じことを言っていたのを耳にし、単なるリップサービスだったことを知る。
 
本日までご飯が食べられるそうで、これは予想外で嬉しい。ただし、手術当日は絶食で水すら飲んではならないとのこと。たかが盲腸、されど盲腸である。