長崎蒸男のサウナ道

サウナ後進国長崎での、サウナーの日記です。

【盲腸手術日記】手術当日その2【入院2日目】


手術当日、午前10時以降の出来事を、リアルタイムで綴った文章を含めながら、ダイジェストでお伝えする。
12時:全身麻酔と歯磨きについて
たかが盲腸、それも腹腔鏡手術ではあるが、一応全身麻酔である。全身麻酔だと心臓以外の機能が停止する。呼吸も自分でできなくなり、喉に管を通される。その際、口の中が汚いと通した管を通じて肺に菌が入ってしまい肺炎等になる恐れがあるため、歯磨きをよくするように指導される。
蒸男は朝から3回した。 
13時:家族到着
「手術は15時からの予定だが、早まることもあるので13時には家族に来ておいてくれ」との病院からの指示。手術は予定より45分遅れの15時45分からスタートし、終わったのが19時だったため、家族は6時間も病院内にいたことになる。暇でたまらなかったと思う。申し訳ない。
15時:手術用のストッキングを履く
 15時15分。担当看護師さんの院内PHSが鳴る。手術開始は15時45分とのこと。この時点で、紙パンツと手術用のストッキングを履く。ストッキングを履くのはエコノミー症候群防止のためだそうだ。締め付けが強く、文字通り足が棒になる感覚。ずっとつけていると踵が靴ずれを起こしたような感覚になり不快である。
15時45分:全身麻酔
手術室前まで自分で歩いて行き、手術担当の看護師さんに自分の名前を言う。囚人になった気分である。そこから手術台まで更に歩く。病院内は全体的にモダンな造りなのに、手術室だけは床がタイル張りの昭和の風呂場のような造り。広い部屋にポツンと手術台が置かれていて、ただただ怖い。
手術台に横になると、慌ただしく全身に温かいタオルを重ねられる。これがたまらなく気持ちい。続いて酸素マスクをつけられる。麻酔のお医者さんがきて「これから眠くなる薬を入れます」と言われる。言われている最中から視界がぐにゃりと歪んでいたので、フライングしていたんだと思う。お医者さんの嘘つき。
以降、ぷっつり意識が途絶える。
これで万が一死んでいれば、蒸男の最後の言葉は「お医者さんの嘘つき」となっていた。これじゃあ死んでも死にきれない。 
19時頃:手術終了
手術台からストレッチャーに移され、呼吸用の管を外される。この辺記憶がひどく曖昧だが、呼吸用の管を外す際、ひどく苦しかったことだけはよく覚えている。
病室に移動したところで意識が鮮明になりはじめる。この間、付き添いの家族がお医者さんから手術の説明を聞き終え、蒸男が目覚めたのを確認し、帰っていった。帰り際、家族に話しかけられるが、ろれつが全く回らず、自分の声のおかしさにたまらず笑う。
この時点で尿道カテーテルがinしているが、入っていることに気づかないほどの違和感のなさ。尿道カテーテルの悪評は散々聞いていたのだが、これでは拍子抜けである。違和感がないのに勝手におしっこが出ていくなんて、むしろこれほど楽なことはない。怠け者のパラダイスである。
切った箇所の痛みも想定より全然軽い。ただ、起き上がることは禁止されているので、終始仰向けのままで行動しなければならない。いつも仰向けで寝ているので問題はないだろう。
本もスマホも、この姿勢ではやりにくい。まだ20時ではあるが「セブ山・永田の最高ラジオ」を聴きながら寝ることにする。
手術って大したことないな。
深夜3時:地獄の窯のふたが開く
深夜3時。それまで寝たり起きたりを繰り返していたが、痛みや不快感でついに眠れなくなる。
切ったお腹の痛みも強い(麻酔が切れてきたのであろう)が、なにより残尿感がひどい。最後のひと絞りができていない感が常時続くので、たまらなくもどかしい。尿を出そうと尿道を絞ると、尿道の奥の方に小さな痛みを覚える。尿道カテーテルの恐ろしさに気づき始める。
極め付けは腰の痛みである。手術開始から約11時間連続の仰向けは腰にかなりの負担を強いている。切った腹の何倍も腰が痛い。腰がルービックキューブになってグシャグシャにされたような激痛である。たまらなく痛い。これまでに感じたことのない強さの痛みだ。許してください。
 
続く